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◆ 馬鹿らしき事の検証
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〈『部落解放』2008年11月号掲載〉
白川勝彦
政治を見たり考えたりするとき、こんがらがってわからなくなったら、基本・原理原則に立ち返るのがよい。いまはそういう秋である。
福田首相がなぜ突然政権を投げ出したのか。腹痛か腹下しなのか知らないが、安倍首相も唐突に辞めた。麻生氏が自民党幹事長になると、一カ月もしないでなぜか首相が唐突に辞任する。その麻生氏が首相になるとどうなるのか。これは見ものである。
安倍首相が辞任したのも、福田首相が辞任したのも、私にいわせれば少しもおかしいことではなかった。そもそも首相の座に座っていることがおかしかったのである。
昨年の参議院選挙で自民党が歴史的大敗を喫したにもかかわらず、安倍首相が続投しようとしたことが無理だったのである。続投が厳しいと考えた安倍首相は、麻生氏に幹事長を要請した。麻生氏は自分が幹事長として支えればなんとかなると考えて就任した。所詮そんなことは無理であった。結局のところ安倍首相は辞任せざるを得なかった。
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参議院選挙のあの大敗は、只事でないのである。自公“合体”政権は、その危機に尋常ならざる決意をもって臨まなければならなかったのである。文字通り“背水の陣”をしく必要があったのに、福田康夫氏を首相に据えたのでは、そもそも背水の陣にはならない。そんなことがわからないのがいまの自公“合体”政権なのである。
痩せ細った大将が背水の陣内閣といくら叫んでも、福田大将で決戦に臨むことなど無理だったのである。そんなことは最初からわかっていたはずである。だとしたら、福田首相はもっとも良い時期を狙って自然な形で大将を退くことが唯一の戦術だったのである。そう、“自然な形・成り行き”で退くことが大事だったのである。衆議院の任期が満了する二〇〇九年九月までの間にその時期は必ずあったはずだ。
ところが、鳴り物入りの内閣改造から一カ月も経たない内に辞めたのでは、自然な形に映らないであろう。しかも時期はずれの大袈裟な総裁選をやったのでは、誰だってこれは胡散臭く思う。
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この総裁選で選ばれてきたのが麻生首相である。この人は一カ月前に福田首相に請われて、また幹事長に就任していた。これでは出来レースと思われても仕方がない。ひょっとすると内閣改造について話し合ったとき、今回の出来レースのシナリオはできあがっていたのかもしれない。そうだとしたら、これはあまり出来の良いシナリオじゃない。
シナリオも悪い。役者も悪い。時期も悪い。そんな三文芝居に興じるようでは、観客も悪いといわれてしまう。しかし、自公“合体”政権はこの三文芝居を厚顔無恥に興行したのである。国民も舐められたものである。このように、事態を整理してみると、次のことが明らかになる。
麻生氏は安倍首相辞任と福田首相辞任に深く関与している。辞任の直前にあった事態に深く関与しているからである。二人の首相が政権を投げ出すことになった事態の責任者でもあるのだ。そういう事態が到来することが読めないようでは、よほどの政治音痴ということになる。
麻生氏が二人の首相の政権投げ出しという事態を予測していて、自民党幹事長の職に就いていたのだとしたならば、麻生氏はかなり腹黒い政治家ということになる。明るくおどけている姿は、仮面ということになる。
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いったいどちらが本当なのであろうか。あなたは、どちらだと思いますか。私はどちらでもないと思っている。その両方なのだ。政治音痴で腹黒い政治家なのである。このことが判明すれば、国民や野党の対処方針は簡単である。
政治音痴ということは、政治の本質を知らないということである。目の前に座っている人が一カ月後に政権を投げ出すことを肌で感じられないような人は政治家ではない。もっともらしい事をいっても決して信じてはいけない。
腹黒い人というのは、卑しいのである。志が高くないのである。人を平気で騙す。だから、そういう政治家のいうことに決して騙されないことである。
馬鹿らしいことでも真面目に検証してみると有益なことがみえてくる。無駄ではない。
そのような総理大臣は、辞めさせることが一番である。自公“合体”政権そのものに引導を渡す秋がきた。
(しらかわ・かつひこ/弁護士)
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