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◆ メンヘラ音楽家と労働運動
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〈『部落解放』2010年8月号掲載〉
茜住
私が音楽の道を志したのは必然だったといえる。そして労働運動も……。
私は物心がついた頃から、理由のわからない不安に怯え、理由のわからない興奮、そしてそれによって起こる人間関係の不和に苦しみ、他にも、人が簡単にできることができない苦しみを味わってきた。十代の後半、それが精神障害だなんて思いもしなかったけれど、私は知っていた。このままでは大人になっても働くことができないと。
そんななか、私は自分に音楽の才能がそれなりにあることに気がついた。音楽の道に進むなら、なんとか生きていけるかもしれない。そう思って音楽大学に入った。音大卒業後は、半年かかって、有名なK音楽会社にピアノ講師として入社することができた。……しかしそこは信じられないほどのブラック企業(労働環境が劣悪な企業)だったのだ。
有料研修が強制されて月に一万円が給料から天引きされた。子どもたちの音楽発表会の練習は給料すら出なかった。生徒一人につき月に一回三〇分を三・五コマこなしても、たったの一九五〇円しか講師の取り分はない。昇給したければ、これまた約一万円の昇給試験を受けなければならない。それで上がる金額もたかがしれてるのだが。
私はフリーターユニオン福岡という労働組合に駆け込んだ。組合の協力によって私だけではあるが有料研修がなくなり、交渉の成果があったかにみえたが……。会社に入って一年三カ月にしてあっけなくクビを切られた。今は労働委員会を通して闘争している最中だ。まだ決着はついてない。
組合に入って、私にはあらゆる見えなかったものが見えてきた。まず組合には、精神障害を抱えている人が何人かいた。じつは、彼らから私が精神障害ではないかと指摘されたのだ。病院にいくと、私のえたいのしれない不安や興奮は躁鬱病だということがわかり、また人にできることができない理由は発達障害のせいであるということもわかった。これらの障害は一生つき合っていかなければいけないものであるが、自分が「メンヘラ」であるとわかると、知らない頃よりはいくぶん生きる道しるべになった。医者に薬をもらったり、相談したりもできる。組合に感謝している。
それにしても働きづらい精神障害者が労働組合に多いのはうなずける。なによりも、組合は精神障害がいまだタブー視されているなかで、自由に話せる数少ない空間でもあるのだ。ちなみに国は精神障害にたいしては、ことさら発達障害に関してはなかなか援助してくれない。さらに深刻なのは精神障害と自分で知らずに、ひたすら生きづらさを抱えている人がたくさんいることだ。私だって組合に入るまで自分が「メンヘラ」であると気づかなかったのだから。
また資本主義の矛盾に関しても頭ではなく肌で感じ始めた。相対的なことはわからないが、少なくとも今のこの国は、音楽家には、まして精神障害もちの音楽家には生きづらいことこの上ない。
音楽家を志す者はたくさんいる。しかし音楽の仕事は一握り。つまり資本家は簡単に労働環境を劣悪にできるし、たとえ腹をたてて労働者がやめても代わりはいくらでもいるのだ。実際のところ私はK会社に入る前からそこがある程度のブラック企業であることは知っていた。しかし、わかっていても会社に入らないという選択肢が私にあっただろうか?
他に私にできる仕事があるだろうか? いやいや、その前にこの不景気において誰が音大卒の人間なんか雇うだろう。一般企業の就職試験を受けたときなど、音大卒というだけで門前払いされたくらいだ。
自虐的になるし、客観的な根拠があるわけでもないのだが、音楽家や芸術家を職業にしようとする人間は、一般の仕事をなんらかの理由で選択できない人も多いのではないかと思う。もちろん、ただただ情熱をもって突き進む人もいるだろう。しかし、こんなに労働条件の悪い職種を選ぶのはそれが好きでたまらないか、あるいはそれしかできないかのどちらかではないかとも思うのだ。そして後者のうちの何割かは精神障害者かもしれない。
我が組合がK会社と闘争を始めてから、音楽の仕事に携わる人たちからも相談がくるようになった。この闘争はもはや、私とK会社の闘争ではなく、すべての音楽会社を巻き込んだものになっているのかもしれない。いや私たちがそうするべきなのである。同じ悩みを抱えている労働者はたくさんいるはずだ。音楽業界の問題、精神障害の問題は、この資本主義社会の問題の縮図なのだ。私にできることは限られているが、この闘争も他の闘争も組合の仲間たちとともにがんばって「生きたい」。これは私が選択したことではなく必然なのだから。
註:メンヘラ=精神障害者の俗語。「メンタルヘルス」から。
(あか・ねずみ/音楽家、フリーターユニオン福岡)
(fuf)フリーターユニオン福岡
http://fufukuoka.web.fc2.com/
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