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◆ 不条理からの解放
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〈『部落解放』2012年2月号掲載〉
阿部恭子
「生と死について考える」――この課題は、決して哲学の授業ではなく、被災地に生きる人々に現実として突き付けられ、永遠に残された問題だ。
二〇一一年は三月一一日に起きた大震災なくして語ることのできない年だった。地元の河北新報には、死者と行方不明者の数が毎日記されている。二〇一一年一二月五日現在の河北新報朝刊によれば、震災による宮城県の死者数九五〇四人、行方不明一九一三人。私が生まれ育った宮城県から、これほど多くの尊い命が失われたとは、いまでも信じがたい事実である。いまだに遺体が見つからず、毎日辛い思いをしている人々も存在する。
三月一一日。地面から突き上げるような大きな振動は街を破壊し、沿岸部に押し寄せた津波は一瞬にして多くの命を飲み込んだ。次に何が起こるかわからないという恐怖の中で、生きているという安心感を得られたのは、家族の無事を確認できた瞬間だった。それは、自分の存在は他者(愛する人々)を介さずしてあり得ないのだと認識した瞬間でもあった。
しばらくの間、ライフラインは途絶え、毎日の食事もやっとという状況で、人々は肩を寄せ合い、助け合いながらなんとか苦境を乗り越えてきた。人々の優しさや温かさに触れ、生きている喜びを感じ、復興への使命感に駆り立てられる日々だった。
しかし、数カ月が過ぎると被災者の間に格差が生まれていった。家族や家を失った人、失わなかった人、震災によって仕事を失った人、震災によって仕事を得た人……この格差は、悲劇に立ち向かおうと一丸となっていた人々を分裂させ、共助の精神をだんだんと蝕んでいった。
災害は、犯罪と違って加害者がいるわけではない。「なぜ、自分たちだけが?」といった不条理に満ちた感情をぶつけることができる相手がいないのだ。そうした、悲しみが錆びたような怒りの矛先は、しばしば被災地の支援者や、ボランティアに向けられることもあった。助け合いからいがみあいへ。時の経過は残酷に思えた。
半年が経過した頃からは、ひたすら無力感との闘いだった。震災がもたらした甚大な被害は、被災地支援者の多くを悩ませた。進まない作業と遅れているさまざまな手続き、苛立つ被災者の気持ちをできるだけ汲んでいこうにも自分一人で対処できる問題ではない。そして、いつまで続くのか、いつまで被災者にがんばってもらわなければならないのか、いつまで自分ががんばることができるのか――真摯に活動に従事する支援者の多くは苦しんでいた。また、家族を失った被災者の悲しみの深さに共感するあまり、自らの心のバランスを崩してしまう者も少なくなかった。
そして、もっとも人間の弱さを見せつけられたのは、原発の被害を受けた地域に対する差別や偏見である。人間は時に、自分を恐怖から遠ざけるために、他人の尊厳を平気で踏みにじる。臆病な自分を隠すための防衛手段のひとつが差別なのだ。震災が私に見せたものは、自然の恐怖と同時に人間の弱さ、儚さだったように思う。
なぜ、東北の地がこれほど大きな被害に遭わなければならなかったのか、なぜ、自分だけがこれほど多くのものを失うことになったのか……。多くの人が、自分の置かれている状況を不条理だと感じたに違いない。しかし、その意味づけをするのは自分自身である。この悲劇をどのようにとらえ、今後の人生にどのように活かしていくのかは自分次第である。
死が教えてくれたのは「限界」と「期限」。人間は万能ではなく、いつか必ず終わりが来る。だからこそ、弱さを受け入れて、自分がいまできることを精一杯続けていかなくてはならないのだと。
被災者もまた、乗り越えねばならない運命を背負わされたマイノリティではないか。ひとりでも多くの人が震災という経験から生きていく意味を見出し、いつの日か不条理から解放される日が来ることを心から祈るばかりである。
(あべ・きょうこ/World Open Heart 代表)
http://www.worldopenheart.com/
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