コラム・水平線

月刊誌『部落解放』の巻頭コラム「水平線」を著者のご了解を得て、転載いたします。

(2020/9/22up)




◆ 名のる――「自由」であることの証として ◆

〈『部落解放』2020年9月号掲載〉

井桁 碧

 ハリエットは走る。映画『ハリエット』(六月公開。監督ケイシー・モンズ、主演シンシア・エリヴォ)のハリエット、メリーランド州に奴隷として生まれた彼女は、真夜中の森を、夜明けの草原を走る。「奴隷」とされていることを拒み、自分を解放するために、誰かに所有されることも売られることもない、「自由」な人間にするために走る。追っ手に捕らえられれば鞭打たれ、熱したタールを塗られ、殺されることもあるとわかっているから逃げる、一九世紀半ばすでに奴隷制が禁止されていたペンシルベニア州・フィラデルフィアを目ざして。
 ハリエットが走るのを、息を詰めて観た。彼女が実在の人物(一八二〇?二一年―一九一三年)で、逃げおおせたこと、それだけでなく黒人奴隷の逃亡を助ける秘密組織「地下鉄道」の優れた指導者=「車掌」となったことを、知っていた。それでも、大河の上に高く架かる長い橋の上で、追い詰められた彼女が、「自由か、死か」という言葉を放ち、土色の激流に身を投じる場面の緊張感を、私は忘れない。
 ハリエットが求めたのは「自由」。『ハリエット』について、とくに注目し、考えたいのは、この映画が、自らの意志をもって自らの名を他者に告げるという行為を、次のように描き出しているということ。
 彼女の名前はアラミンタ・ロス、奴隷主そして家族や周囲の人びとからはミンティと呼ばれていた。フィラデルフィアで「地下鉄道」を主導していた自由黒人ウィリアム・スティルは、彼の元にたどり着いたミンティに言う。「新しい名前を名のらないか。自由になったことの証しに」と。この呼びかけに応え、彼女は、母の名とメリーランドに残してきた夫の姓を選び、「ハリエット・タブマン」と名のる。
 誰にとっても最初の名は、誰かによって与えられるが、アメリカで奴隷とされた人びとの名や姓は、つまりミンティの母の名や夫の姓は、彼らからアフリカにおける命名文化を剥奪した者たち、他でもない奴隷所有者によって、与えられたものである。しかし、なお、ミンティが「ハリエット・タブマン」と名のる場面から、名のるということを、人間が他者に対し、自分が自分であることを証す行為、自己の尊厳を示す行為として読みとることができる。
 私たちは、被差別部落の人たちが、出身・居住の地名につながる自分の名を他者に知られることで被害を受けることを知っている。帝国日本が朝鮮人に対し第一言語の使用を禁止し「創氏改名」を強制したことも、日本軍「慰安婦」「性奴隷」とされた女性たちが、日本風の女の名で呼ばれたことも知っている。
 だからこそ、部落解放運動のなかに、自らの名を、自らと仲間の解放の標しとして明らかにしてきた人たちがいる。国家日本の植民地支配責任を問い、今なお続く民族差別に抗する運動のなかに、「本名」宣言をしてきた人たちがいる。
 そして、金学順さんが実名を名のり、「慰安婦」とされた過去を明らかにした、その行為から始まる帝国日本と軍隊の「加害責任」を問う闘いを、三〇年間引き継いできた李容洙さんがいる。彼女は、自分に押しつけられた名前を拒み、名のり返す。「私は慰安婦ではない。性奴隷ではない。李容洙だ」「私は女性人権活動家、李容洙だ」。

(いげた みどり/東日本部落解放研究所、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター)


コラム・水平線INDEXに戻る



HOME

JINKEN BOOKは、(株)解放出版社が提供しています。 無断転載を禁じます 。
Copyright (C)Buraku Liberation Publishing House Co.,ltd 2001, All Rights Reserved


E-mail

(株)解放出版社
Phone:06-6581-8542(代表) Fax:06-6581-8552
東京営業所: Phone:03-5213-4771(営業) FAX:03-3230-1600